my face in pictures

人は中身だってよく言うけど、その人のあり方は年をとると顔に出てくるように感じる。私が年をとって、偏見のコレクションがたまってきたせいなのか。わからない、難しい。


私はどんな顔をしているんだろう。鏡に映った私の顔はそれほど悪くないように見えるけど、よく見るとどこかすましている。自分に見られていることを意識している。

人が撮った写真に写った自分を見ると、鏡に映る見慣れた自分との違いに愕然としたりする。私の顔は君にはどう見えているだろうか。


昔の私の写真と今の私の写真もやはり全然違う顔をしている。周りの大人たちは幼い私を見て、可愛い子ね、とか賢そうね、とかお母さんよりお父さんに似ている、とかお父さんよりお母さんに似ている、とか言ったけど、写真に写った私の顔は、その時の私の中身を知っている私には意地悪く、わがままな子供にしか見えない。

あなたには私の顔はどう見えていたんですか、本当のことは子供には言えないですもんね。


私は年をとって少し歴史を持った。思えば少年の頃の私には人の気持ちとは何なのかよく分からなかった。あんたはそんなにたくさん本を読んで、国語もできるのにどうして人の気持ちがわからないの、って何度も言われた。知らなかった。人の気持ちがわかるってどういうこと?意味わかんないって思っていた。今はなんとなくわかる。


中学生の私が学校に行かなくなった理由はわかるけどまだ言葉にできない。なんでだろう、わからない。でもともかく、学校に行かなくなってからの私は人の気持ちの存在にある日気づいた。ショックだった。自分がたくさんの人を傷つけていたこととたくさんの人に嫌われていたことに始めて気づいた。どうして気づかなかったのかは気づいてしまった後では分からなかった。

だからか知らないけど、中学生の私の写真はすごく自信がなさそうだ。おどおどして、醜い。


高校はけっこうちゃんと行っていた。私の顔はまだ卑屈で、おどおどしていたが、たまに楽しそうな顔をしていた。友達ができた。恋人ができた。友達を失った。恋人を失った。色々なことがあった。でもまだうまく言葉にできない。最近少しわかるようになった。私はものをわかるのがすごく遅い。


今の私の顔は色々だ。おどおどしたり、自信が感じられたり。後から見て、これはひどい顔だな、とかこれは勘違いしているな、とか思う。そんな感じだ。


結局今の今までいい顔をしている自分の写真は見つけられなかった。いつまで続くんだろう。このまま、少し先の自分は今の自分を見透かして、少し先の自分はさらに少し先の自分に見透かされてって、それがいつまで続くんだろう。私はいい顔になれるだろうか。どうなんだ、なあ。私は何かを作れるだろうか、私は何かになれるだろうか。なあ、どう思うお前は。