私の字

歳をとるにつれ八方塞がり感が強くなってきた。俺、年取ったな、という感じだけが強くなり、なにも成長できていないと焦る。

そういうの向いてないんだけどな、とよく思うけど今まで自分に向いている何かなんてあっただろうか。どうだろう。言い訳でしかないのかもな、となんとなく思う。

さっき、今日は体調悪いから、と飲み会を断ったとき、いつも体調悪いよね、と言われた。その通りだ。でもおかしいな。体調に問題があるからサークルもバイトも辞めて負担を減らしたのにな。まあ急に元気にはなれないか、うん。でもな、新聞はギリギリ作ってるけど、他にやりたい活動もせずに、とくに真面目に勉強しているわけでもなく、元気でもないってそれ、なんなんだろうな。

どうするよ、今後。忙しくなるぜ、きっと。就職とかしたくないな、てか出来る気がしないな。俺にはなにが出来るだろう。あるいは何も出来ないのか。何も出来ないならどうやって生きていくんだろう。わかんねえな。


昨日、机の中を整理してたら、小学生の頃に通っていた公文のプリントがたくさん出てきた。けっこう難しいことをやってた。国語なんかセンターとそう変わらないくらいの文章に見えた。でも、一番どきっとしたのはそんなことじゃない。

何より、そのプリントの私の字は今より綺麗だった。信じられないけど、本当にそうだった。


私は字が本当に汚い。あまりにも汚いから人に驚かれる。従兄弟にはこんなに字が汚い人は見たことがない、と言われたし、高校の部活の日誌を、それでも極力綺麗に書いたんだけど、とにかく手書きで書いた日誌を提出したら顧問に渋い顔をされた。

テストで記述問題があると必ずもっと字を綺麗に書きましょう、と書かれる。それくらい汚い。でもいつからか、まあしょうがないよ。こんなものだろうって、自分の字の汚さを受け入れるようになった。


小学生の私が解いたプリントの字だって、他の小学生の字と比べて綺麗とは言い難い。でも、今の私の字より明らかに丁寧に書かれていたし、読み易かった。


結構ショックだった。たかが字のことだし、それが私のあり方を暗示しているというのは考えすぎだろう。でもどうしてもそう考えるのをやめられなかった。


勉強だって同じかもしれない。国語の現代文って勉強したことないって思ってた。勉強しなくても常に高得点を取れたから、国語が生まれつきできるんだと思っていた。

でも押入れの中にしまわれたプリントには何度やっても出来なくて、何度も何度も解き直している昔の私が写り込んでいた。


いつからだろう、自分の字の汚さに慣れたのは。いつからだろう、向上しようとすることを忘れたのは。


いつか、元気になったらまた何か始めるんだろうか。でも、今以上に元気になることなんてあるのか?今始めるべきことが何かあるんじゃないか。でもそうやって始めたバイトもサークルも結局辞めてしまった。新聞の仕事だってとても一人前には出来ていない。

どうなるんだろうな、私は。