日記。生活について。

今日したこと。

今日は悪夢を見て、6時半に目が覚めた。まだ眠かったけど、もう一度眠るのは怖かったので起きた。朝ごはんを食べた。

9時半に美容室の予約を取っていたので、それに合わせて家を出た。頭は回っていなかったが、美容師さんとは人並みの会話ができた。笑ってもらえたのでよかった。あるいは人並みの会話になっていなかったから笑ってもらえたのかもしれないけど。

家に帰って、居間でCDをかけた。ホットカーペットでごろっとしていたら眠くなってきたので、部屋に戻って寝た。自分でかけたCDがうるさかった。

2時過ぎに起きた。頭が痛かった。ロールケーキがあったので食べた。

となりの祖母の家に行って、少し話しをした。宗教の話とか、健康の話とか、お互い一方通行気味だった。頭が痛かった。

祖母が夕食の支度を始めたので、私も卵を茹でたりして一緒に食べた。

ここで急に頭がクリアになった。

朝からかかっていた靄が消え去り、腹のあたりからエネルギーが滲み出てきた。


文章が頭に入ってくるようになったので、坂口恭平さんの小説を少し読んだ。

彼の文章は歪だ。彼は自身の幼年期のことを書いていたが、彼の思考の流れに沿って、描写は拡大、縮小され、時間は行き来する。

彼にはどうしても書きたい感覚が、イメージがあって、それを極力そのまま描写しようとした結果、いわゆる美しく明瞭な文章ではない、独自の文章を構築している。そんな感じがする。

私が彼の文章で好きなところはその素直さ、誠実さであり、逆に苦手なところは人の思考をそのまま覗いているかのようなその居心地の悪さだ。


鬱の時、私の思考がクリアなのはせいぜい11時間とかそこらだ。ほとんどの時間は、別に希死念慮があるわけでもなく、幻覚が見えるわけでもなく、ひたすら頭が重くて何もする気が起きない。

鬱という感じじゃないかもしれない。熱もあるわけだし、何らかの不調がいくつかの形で表出している、くらいが正確な気がする。

何にせよ寝続けているわけにも行かないので少し行動するが、すぐに疲れ果てて寝てしまう。

じっとしている分には、希死念慮もないので穏やかなものだ。昔は、部活のことやら課題のことやら受験のことやらが気がかりで、焦り、いらいらしたりしたが、経験が蓄積するに従い、なるようになるさ、と自然に思えるようになった。

私はいつかまた元気になるだろう。別に課題をやらなくても人に義理を欠いても死ぬわけじゃない。最低限こなしながら、のんびりしていればいいさ、と。


もちろんそうはいかない時もある。どうしても外せない用事や授業のため外出し、人に会うと、ろくにコミュニケーションも取れない自分にいらつき、絶望的な気分になる。

家にいる時だって、きっとどこかで不安感や絶望感はある。見ないふりしているだけで、それは別の形をとり、ふいに私の前に現れてくる。


さっき書いたように、思考が一時的に明瞭になったので、文章を書いている。本当は課題やらなんやらがあるんだけど、どうもやる気が起きない。

一度そこそこの分量を書いたが、誤って消してしまった。それで落ち込んだりしていたら、明瞭な状態からまた少しずつずり下がってきた。書けるうちに書けることを書こう。


長いこと考えたが、とくに今は書けそうなことはなかった。好きでやっているんだから、無理に書く必要もない。

そういえば昨日は昔の友達に会った。たまにブログを読んでくれているらしくて、感想を訊いたら、すごくてっちゃんぽいと思う、と言われた。

小学校卒業以来たまにしか会わない彼に、ぽいねって言われるということは、外から見た私らしさというものは、ずいぶん時間が経ってもあまり変わっていないということか。

あだ名で呼ばれることもほとんどなくなり、考え方だってずいぶん変わったはずなのにな、と思う。

本当のところはどうなんだろう。今度気分がいい時に考えよう。