小説 「ノンフィクション」

これは「小説」の形式で書かれた「ノンフィクション」というタイトルの文章を私が朗読する、という形式の、一種のショウです。「これ」が指す範囲は「これは『小説』の形式で書かれた『ノンフィクション』というタイトルの文章です」から始まる文章に限られず、実際にこれらの文章を発語している私や会場であるこのホール、そして観客である皆さんのことも含んでいると考えていただいて構いません。


皆さんは私に対してそれほど強い興味を抱いてらっしゃらないでしょうから、こんな個人的な話をするのは恐縮なのですが、私はとても引っ込み思案で、こうして人前で、みなさんが注意深く聴いている状態で何かをするなんてことは出来そうにありませんでしたが、担当の方から、あなたは文章を書くのが得意なのだから、このショウの完璧な脚本を書き、それをそのまま朗読すればいいじゃないか、と言っていただいて、それなら私にも出来るかもしれない、と気が軽くなり、こうして文章を書き、皆さんの前で朗読しています。そういう経緯を踏まえた上でこのショウをお楽しみください。


今、私は電車に乗っていて、随分と混んでいますから体勢を維持するのが困難なのですが、右手を斜め上に突き出すような形で、スマートフォンを使ってこの文章を書いています。すぐ前には大学生と思しき二人の女性がいます。一人は白を基調としたワンピースを着ていて、背が高く、明るく染めてパーマをかけた髪を伸ばしており、もう一人は背が低く、落ち着いた服装で黒い髪を後ろで結わいています。二人は偶然、久し振りに会ったらしく、会話を弾ませており、音楽を聴いている私の耳にもはっきりと声が届いてきています。

背の高い方は熱心ですが、背の低い方は声の感じから、どこか心ここに在らずという印象を受けます。二人は中学か高校の同級生らしく、当時の共通の知人について話していまして、背の高い方は、いやいちいち口に出すのが億劫ですね。これからはノッポ、もう一人はチビと呼びます。実際にそれほどノッポでもチビでもありませんが、あくまで便宜上の問題です。ノッポは随分人間関係に詳しく、あの子は恋人と別れただとか、あいつがテレビに出ただとか、様々な情報をチビに伝えます。さっきも述べたようにチビはいくぶん集中力を欠いていますが、そんなことには気づかないようです。

やがてノッポの話は今誰がどの大学に通っているか、ということに移りました。次々と知人の名を挙げ、あいつは明治、あの子は東海大と確定的な口調で言い続けます。挙げられる人数からしてあまり親しくない人物の情報もあるでしょうから、チビとしてはそれほど興味をひかれる話題ではないのでないか、と思うのですが、チビの返答、相槌は感心してしまうくらい見事なものです。

ノッポが、〇子は明治大、と言えば、え、まじで、〇助は横浜市立大、と言えば、あーなるほど、その他3秒に1回くらいのペースでノッポは名前を挙げ続けますが、チビは一つとして同じ相槌を打たず、もちろん側から見れば何がまじで、なのか、なるほど、なのかはわかりませんが、全く言い澱んだりすることなく、そしてそれはあたかもその相槌しかありえないかのような錯覚を与えるほど自然なのでした。それでいて言葉に感情がこもっておらず上の空で、タイミングと言葉だけが完璧にフィットしているので私はおかしくなってきました。

でも笑ってはいけません。なぜなら、こんなに混んでる電車内で唐突に笑い出したりすることは、この世界において不審なことだからです。この「この世界」という言葉が何を指すかというと、何もこの、我々の住む地球を含む全宇宙の話ではなくて、その「場」のこと、あるいはもう少し広く、我々が認識し生活しているこの限定的な世界についてなのですが、それは蛇足でしたね。


とにかく私は笑ってはいけないのです。私は唇を結んだまま鼻で息をし、なんとか笑いを押し殺そうとしています。それでもなかなか収まりそうになく、むしろ自分の滑稽さにもっとおかしくなってしまい、私は欠伸をするふりをして左手で口を覆い、窓の外を見て何か別のことを考えようとしました。窓の外では半分以上落ちかけた大きな太陽によって橙色に染まった街並みが広がっています。私は思わず見惚れました。しかし、やがて視界におかしなものを捉えました。遠くで何か黒っぽい点のようなものが揺れています。そして、それは少しずつ大きくなっているようです。私の目がおかしくなって、それがこの黒点を生んでいるのでしょうか。

不安になり、何度か目を閉じたり開けたりしていると、それはもう点とは呼べないくらい大きくなっていました。そして段々と鳥のような鋭角のシルエットが見えてきました。やはり近づいてきているようです。色もどうやら黒とは呼べない、しかし何と呼んだらいいのかわからない、どこか恐ろしく、この世のものとは思えない色になってきました。それはなんとか黒と呼べなくもない色でしたが、よその星の粒子を知識のない訪問者がなんとか知っているもので例えようとしたような、そんな心許ないものでした。

そうこうしているうちにその鳥のようなものは急速に近づいてきました。電車から10メートルほどのところで漸く気が付いたのですが、それは鳥にしてはあまりにも大きすぎました。全長がだいたい電車の扉から次の扉くらいあり、漫画に出てくるような人が乗れるほどのがっしりとした体躯の生き物です。「それ」は電車にギリギリまで近づくと向きを変えまして、電車と並走、いや飛んでいるのだから並飛でしょうか、ともかく「それ」は今では軍用機が二機並んで編隊飛行するようにぴったりと電車にくっ付いています。


私は唖然としていました。笑いなどとうの昔に消え去っています。私は夢を見ているのでしょうか。いやそれにしてはあまりにも確かな現実感があります。しかしそれにしても、と思考を巡らせていると、おい、という声が聞こえました。私には直感的にわかりました。「それ」が私に話しかけているのです。しかし直感的にわかったところでどうしようもありません。それはあまりに現実離れした光景でしたし「それ」は嘴を一つも動かさずにいるのですから。

するとまた、そんなことはどうでもいい。直感的に「わかった」ことを信じないで何を信じるんだ、と「それ」が話しかけました。私はその言葉に少し自信を取り戻し、あの、あなたはどちら様でしょうか。鳥なのでしょうか。なぜ私に話しかけてらっしゃるのでしょうか、と尋ねてみました。すると「それ」は、一度に随分と質問のあるやつだ。私が鳥であるか鳥でないか、黒であるか黒でないか、そんなことはどうでもいい。何も、頭で考えて全てのものを理解できるわけでもあるまい。お前は黒を知っているつもりだが、黒でないある色を知らず、黒を知っているかさえ怪しい、とそれだけのことだ。お前は私が自分に話しかけていることが直感的にわかっただろう。そういう理解の仕方だってちゃんとあるのだ。もっとも気が狂わないように自分の知識で私のことを捉えても構わないが。全ては便宜上のことだ、と一息に言いました。


私は少しカチンときましたが「それ」のいうことはもっともでした。それに少しでも話を先に進めないと不安でおかしくなりそうです。

私は、なるほどもっともです。よければなぜ私に話しかけたかもお答えいただきたいのですが、と言いました。

「それ」はフンと笑って、全てのことに「なぜ」なんてものがあるわけではない。もちろんお前たちは、左手に持っていたコップを落としたら地面に当たって砕けた、ということに因果性があると思っているだろうし、それは一つの正しい知識なのだが、その因果性がいつも役に立つわけではないのだ。夢の中のことを考えてみればそれはわかるだろう。それが嫌なら、こういうのはどうだ。お前は誰か親しい人間と話す時に、ほとんど無意識に相手の反応を予期しながら話しているだろう。それは大体において大きくは外れないが、時々何かの加減で全くの見当違いということがある。そういう時、お前が感じるのは、そう、恐怖だ。でも良く考えればほんとうはお前の予期に必然性なんてものはなく、恐怖を感じるなんてお門違いもいいところだ。世界とはそういうものなのだ、とまたもや一息に、しかし威厳を持って言いました。


すると、わたしは夢を見ているのか、と考えたところで、「それ」はわたしの思考を読んだかのように、これは夢であり、夢でない。ある面ではこれは現実であり、そして虚構だ。お前も私も徹底的に現実的な存在でありながら、同時に徹底的に虚構的な存在なのだ、と言いました。

まるで禅問答です。私は何を言っても反駁されるし、それが屁理屈のようでありながらなぜか笑い飛ばせない説得力を持っているのですっかり参ってしまいました。


私は目を閉じました。そして、ふと、あるおかしなことに気がつきました。周りがあまりにも静かすぎます。電車が線路の繋ぎ目で揺れるガタンゴトンという音以外の、人がたてるような音が何もしません。


私は恐る恐る目を開けて、周りを見渡しました。すると、どうでしょう。車両にいる人間が全員気味悪げに私のことをみているのです。先ほどまで楽しげに話していたノッポまでもがです。どういうことだろう、と私は訝りました。「それ」なら何かわかるかもしれない、と窓の外を見るとそこには「それ」なんて言葉が指し示すものは何もなく、たださっきよりいくぶん沈んだ夕日と、薄暗い街が見えるだけでした。


私はまた唖然としました。とうとう私の頭がおかしくなったようです。思えば私は昔から空想が好きで、いつも夢みたいなお話を考えてばかりいました。それに空想にあまりに没頭しすぎて、空想の友達の死を悲しんで泣いたり、空想上の出来事に急に怒り出したりするものですから、大人たちは気味悪がったものです。しかし私はそんな雰囲気をやがて察知できるようになり、上手に社会生活を歩めるようこうして矯正してきたのです。私は気が狂っているわけではないはずなのです。それに、さっきの「それ」は空想にしてはあまりにもリアルすぎました。あれは空想なのでしょうか。ああ、難しい。なんでただ生きているだけで人に気味悪がられたりこんな難しいことを考えたりしなければいけないのでしょう。何かが私を創り、悪戯に試練を与えているとでも考えたくなります。


アナウンスが流れ、電車は私の家がある終着駅に着きました。私は何食わぬ顔でスタスタと降りると、駅を出て、そのまま歩いて歩いて歩き続けました。気づくと私は、古びた工事現場のような場所に来ていました。古びた工事現場、なんておかしな話です。何か新しいものを建てるのが工事現場という場所の本性なのですから。


私は鉄骨に腰を下ろしました。なんだかすごく疲れています。夕日の橙色はもうほとんど見えません。

ふいに、カラスが目の前に降り立ちました。これは「それ」なんて指示語でなくても表せる正真正銘の鳥です。カラスはセンサーで人の動きに反応するおもちゃみたいに、あちこちを首だけ使って器用に見回しています。


私は疲れていましたが、まだ光が残っているうちに確かめなくてはいけないことがありました。日が落ちたら真っ黒なカラスは見えなくなってしまいます。

おい。私は意を決して言いました。カラスは一瞬私を見ました。でも、話しかけてくるようなことはありませんでした。

私は安心したようながっかりしたような気持ちになりましたが、とにかく肩の力がすっと抜けました。


やっぱりあれは空想だったのでしょうか。いや、もし空想であったとしても、あれはやはり私にとって真実なのです。たとえこの世界が現実でも夢でも虚構でも私は割り振られた役回りをこの場でうまく演じるほかないのです。


ほんの一息のうちに夜が来て、辺りは真っ暗闇になりました。カラスも、私の考えていたこともみんな、もう見分けられなくなってしまいました。


以上です。ご静聴ありがとうございました。

戯曲「いいヤクルトと悪いヤクルトがある」

いいヤクルトと悪いヤクルトがある

 

(A、B…男 C…女 0…ナレーション 舞台中央に机がありABが若干斜めに向かい合って座っている。Cは舞台の上手側の端にある椅子に客席の方を向いて座っている。明転。下手から0登場。中央から少し下手側に椅子を置き客席を向きそこに座る。15秒ほど沈黙)

 

0カーテンが閉め切られた部屋。時刻は午前10時過ぎ。外は土砂降りで、部屋の中は生ぬるく、湿った感じの匂いがする。AとBは机を挟んで向かい合って椅子に腰をかけている。Aスマートフォンをいじっており、BAに何か切り出そうか迷っている様子

 

Aいいヤクルトと悪いヤクルトがあるんだけど、どっちから飲みたい?

 

Bいいヤクルトから飲みたい

 

0A、ポーチからヤクルトを二本取り出し、一つをAに渡す

 

Aどうぞ

 

ABヤクルトを飲む

 

B美味しい

 

0A満足そうにうなずく

 

A美味しいだろ。いいヤクルトは美味しいんだ。

 

AB、ヤクルトの容器を机に置く。少し間をおいてB、Aにスマートフォンの画面を見せる

 

Bそういえばこのアカウント見たか

 

Aなに?

 

Bいや、これ。「セックスにしか興味のない女子大生がセックスに関して呟くアカウントです」だって見事にセックスのことしか呟いてないぞ

 

Aバカだなお前、そういうのは全部暇を持て余したおっさんがやってる釣りアカだから

 

Bそうやってなんでも疑ってかかるのはよくない。というかこの後オフ会することになっててその人家に来るからどちらにしろそれでわかるよ

 

A色々問題があるけど面倒だから指摘しないよ

 

0C、立ち上がり、に見立てた空間をカチャと声に出しながら開ける素振りをする

 

Cこんにちは。セックスにしか興味のない女子大生です。

 

AB、Cに気づくB、一見慌てた素振りはないが、周囲に気づかれるかどうかというくらいに深く息を吐く。Aは能面のように無表情。

 

Bあなたがセックスにしか興味のない女子大生ですか。私はケントです。

 

Cはじめまして。ツイッターではかねがね。

 

Bほら女子大生だったじゃないか。

 

Aそうみたいだな。では私は出かけますので後はお好きに。

 

A扉を開ける素振りをし、上手端の椅子まで行き、座るC、Aが座っていた椅子に座る。沈黙Cポケットからマッキーと紙を取り出し、「星、星、星と繰り返し一書ずつ丁寧に書く

 

B何をしているんですか

 

C「星」と書いています

 

Bそうですか

 

Cあなたは私が「星」と書くのを本当に、真剣に見た方がいいです。あなた以外は私が「星」と書いているのを見れないので

 

Bそうです

 

0B、Cの手元を覗き込む。沈黙。次第にBの落ち着きがなくなり、Cに何か言おうとしてやめて結局言い出す。

 

Bあの

 

0C、書き続けたまま返事をする

 

Cはい

 

Bキスしていいですか

 

C私にですか

 

Bはい

 

0A、帰ってくる

 

A忘れ物をした

 

0A、誰からもレスポンスがないことに不服そうな顔をした後、タンスや、机の下や、押入れに何かを探す

 

Cモテキっていう漫画知ってますか?

 

B知らないです。それがどうかしましたか?

 

Cいや、こういうシーンがその漫画にありそうだな、と思って

 

Bそうなんですか。お好きなんですか?

 

Cいや読んだことはないんですけど

 

Bそうなんですか

 

Cはい

 

Bキスの話はどうなったんですか

 

Cえーと、お断りします

 

Bそうですか。一応理由を聞いていいですか

 

Cなんとなく

 

Bはい

 

C明確な意思があるわけではなくて、ただ、なんというか、多くの人がなんとなく戦争に反対するように、セブンイレブンとローソンがあってなんとなくローソンに入ってしまうように、そんな感じで、もしかしたら河川敷にある防犯カメラがホームレスの一挙手一投足を補足するように、そんな感じでじっと観察すれば、理由をつけられるのかもしれないですけど、そういう努力ははっきり言って生活者である私たちにとっては必要のない、もっと言えば無意味な営みだと思うので

 

Bはい

 

C付け加える私は女子大生ではなくて、それにセックスにも興味がなくて、私のツイッターのユーザー名は「セックスにしか興味のない女子大生」ですが、それは実際の私については何も言い表していなくて、あるいは私の一面を表しているか、過去に表していたかもしれないですけど、今の私の実感で言えばリアリティーを持たなくて、それに私はリアルよりリアリティーの方が大切だと思うので

 

Bそうだったんですね。

 

0 A、立ち止まり、Bを見る。


A女子大生じゃなかったじゃないか

 

Cはい。騙すことになっていたらすいません。

 

0沈黙

 

Bとりあえずヤクルトを飲みましょう。いいヤクルトと悪いヤクルトがありますがどちらから飲みたいですか。

 

Cいいヤクルトから飲みたいです。

 

0B、ポーチからヤクルトを二本取り出し、一つをCに渡す。

 

Bどうぞ

 

0BC、ヤクルトを飲む

 

C美味しい

 

0B、満足そうにうなずく

 

Bそうでしょう。いいヤクルトは美味しいんです。

 

A無表情まま全員が飲んだヤクルトの空き容器を思いきり床に叩きつけ念入りに踏みつぶす。沈黙。

 

Bごめん

 

Cごめんなさい

 

Aかればいいんだ

 

B俺たちは親友だからお前の行動の意味がなんとなくわかるよ

 

Aそういう関係ってすごく大事だ

 

沈黙C机を思いきり倒そうとするが思い直してゆっくりと倒し、軽く蹴り、少し間をおいて今度は音が鳴るくらいには蹴る。再び沈黙

 

Cでも初めは誰も親友じゃなかったんじゃないですか

 

A君と僕は端的に親友でないので君の感情も行為の意味も僕たちには永遠に全く理解できないです

 

0沈黙

 

Cそうですか。とりあえずヤクルトを飲みましょう。いいヤクルトと悪いヤクルトがありますがどちらから飲みたいですか

 

Aいいヤクルトから飲みたいです

 

0C、ポーチからヤクルトを二本取り出し、一つをA渡す。A、空いている椅子に腰をかける。

 

Cどうぞ

 

0CA、ヤクルトを飲む

 

A美味しい

 

C、満足そうにうなずく

 

Cそうでしょう。いいヤクルトは美味しいんです

 

0A、芝居がかった様子で立ち上がり、咳払いを一つして情感たっぷりに語りだす。

 

A人生はこんなにも素晴らしい。そして出会いがあり別れがある。私は趣味で夜になると路上で歌っているんですが、足を止めてくれるご婦人に、私を不思議そうに見つめる子供たちに、いつも人の温かさを感じずにはいられません。なのにテレビをつければ悲しいニュースばかり。私は色々なものに共感しやすいので悲しいニュースを見ると心から悲しくなってしまいます。…だからこそ私は歌を歌うんです。こんなに素晴らしい世界で素晴らしい人たちと出会い、時に別れる。夕暮れ時に街を歩くと石けりをしながら帰るランドセルを背負った子供やこれからの二人の時間を想像して笑顔がこぼれ落ちるカップルや、家々から聞こえるシャワーの音や、煮物の匂いに「ああ、こんなにたくさんの人がいて、その誰もが私と同じように様々な感情を抱き、生活を送っているんだ」という感傷に、その感傷を同じく生活者であるが感じているう紛れもない事実に胸が熱くなり、涙がこぼれそうになります。だから悲しいニュースばかりじゃなくてこんなに素晴らしいことがたくさんあるんだ、と私は路上からささやかながらみなさんにお伝えしているんです。すごく有意義な趣味です。そう思いませんか

 

0沈黙。C、机を起こし、紙とペンを拾い上げ、再び紙に「星、星、星」と書き出す。B、何か大きな葛藤を抱えている様子で、うずくまりその場でのたうつ。

 

A何をしているんですか

 

C「星」と書いています

 

Aそうですか

 

Cあなたは私が「星」と書くのを本当に、真剣に見た方がいいです。あなた以外は私が「星」と書いているのを見れないので

 

Aそうですか

 

A、Cの手元を覗き込む。沈黙。次第にAの落ち着きがなくなり、Cに何か言おうとしてやめて結局言い出す。

 

Aあの

 

0C、書き続けたまま返事をする

 

Cはい

 

Aキスしていいですか

 

C私にですか

 

Aはい

 

Cモテキっていう漫画知ってますか?

 

A知らないです。それがどうかしましたか?

 

Cいやこういうシーンがその漫画にありそうだな、と思って

 

Aそうなんですか。お好きなんですか?

 

Cいや読んだことはないんですけど

 

Aそうなんですか

 

Cはい。忘れ物はいいんですか?

 

Aああ、なんか、もういいかなって

 

Cそうですか

 

Aキスの話はどうなったんですか

 

Cえーと、お断りします

 

Aそうですか。一応理由を聞いていいですか

 

Cなんとなく

 

Aはい

 

C明確な意思があるわけではなくて、ただ、なんというか、多くの人がなんとなく戦争に反対するように…

 

(Aに被せて)0B、意を決したように立ち上がりAに被せて大声で言う

 

Bやめようよ

 

0C、虚を突かれて固まる

 

Cえ

 

0B、切迫した様子で語りだす

 

Bそういうのやめようよ。もう嫌になっちゃったよ。いつまで同じことをしているんだよ。最初からずっと何も変わってないじゃん。俺はずっと思ってたんだけど、こうやってツイッターで知らない人と会ったりするのも価値観が合わないことがわかっている人間と部屋代を分割するために一緒に暮らして、親友とか呼び合うのもあほらしいよ。この世界にはもっと大きな愛みたいなものが多分あって、ていうかもし愛というものがあるなるそれは一目惚れとか情熱的な恋みたいなものじゃなくて他者に対して誠実であろうとする営為が反復の中で徐々に無目的的になったところから生まれるものだと思うし。そう思いませんか?

 

沈黙。C、再び紙に「星、星、星」と書き出す。B、空いている椅子に腰をかける。A、何か大きな葛藤を抱えている様子で、うずくまりその場でのたうつ。

 

B何をしているんですか

 

C「星」と書いています

 

Bそうですか

 

Cあなたは私が「星」と書くのを本当に真剣に見た方がいいです。あなた以外は私が「星」と書いているのを見れないので

 

Bそうですか

 

0B、Cの手元を覗き込む。沈黙。次第にBの落ち着きがなくなり、Cに何か言おうとしてやめて結局言い出す。

 

Bあの

 

0C、書き続けたまま返事をする

 

Cはい

 

Bキスしていいですか

 

C私にですか

 

Bはい

 

Cモテキっていう漫画知ってますか?

 

B知らないです。それがどうかしましたか?

 

Cいやこういうシーンがその漫画にありそうだな、と思って

 

Bそうなんですか。お好きなんですか?

 

Cいや読んだことはないんですけど

 

Bそうなんですか

 

Cはい

 

Bキスの話はどうなったんですか

 

Cえーと、お断りします

 

Bそうですか。一応理由を聞いていいですか

 

Cなんとなく

 

Bはい

 

C明確な意思があるわけではなくて、ただ、なんというか、多くの人がなんとなく戦争に反対するように、セブンイレブンとローソンがあってなんとなくローソンに入ってしまうように、そんな感じで

 

0A、唐突に立ち上がり、大声で情感たっぷりに語りだす(※1)BC固まる。B、少し間をおいて立ち上がり切迫した様子で語りだす(※)Cは固まったまま

 

0ABの音量が徐々に上がる。ピークに達したところでCがポーチから金づちを取り出し、思いきり机をたたく。全員黙る。沈黙。

 

Cでも初めは誰も親友じゃなかったんじゃないんですか?

 

A君と僕は端的に親友でないので君の感情も行為の意味も僕たちには永遠に全く理解できないです

 

(15秒ほどいて一列に並び、一礼して退場)

 

人生はこんなにも素晴らしい。出会いがあり別れがある。私は趣味で夜になると路上で歌っているんですが、足を止めてくれるご婦人に、私を不思議そうに見つめる子供たちに、いつも人の温かさを感じずにはいられません。なのにテレビをつければ悲しいニュースばかり。私は色々なものに共感しやすいので悲しいニュースを見ると心から悲しくなってしまいます。…だからこそ私は歌を歌うんです。こんなに素晴らしい世界で素晴らしい人たちと出会い、時に別れる。夕暮れ時に街を歩くと石けりをしながら帰るランドセルを背負った子供やこれからの二人の時間を想像して笑顔がこぼれ落ちるカップルや、家々から聞こえるシャワーの音や、煮物の匂いに「ああ、こんなにたくさんの人がいて、その誰もが私と同じように様々な感情を抱き、生活を送っているんだ」という感傷に、その感傷を感じる私と言う紛れもない事実に胸が熱くなり、涙がこぼれそうになります。だから悲しいニュースばかりじゃなくてこんなに素晴らしいことがたくさんあるんだ、と私は路上からささやかながらみなさんにお伝えしているんです。ああなんて有意義な趣味でしょう。そう思いませんか

 

そういうのやめようよ。もう嫌になっちゃったよ。いつまで同じことをしているんだよ。最初からずっと何も変わってないじゃん。俺はずっと思ってたんだけど、こうやってツイッターで知らない人と会ったりするのも価値観が合わないことがわかっている人間と部屋代を分割するために一緒に暮らして、親友とか呼び合うのもあほらしいよ。もっと大きな愛みたいなものが多分あって、ていうかもし愛というものがあるなるそれは一目惚れとか情熱的な恋みたいなものじゃなくて他者に対して誠実であろうとする営為が反復の中で徐々に無目的的になっていくものだと思うし。そう思いませんか?

 

 

 

小説 「熱狂、コメダ珈琲にて」


コメダ珈琲は予想外に混んでいた。そして異様に蒸し暑かった。入り口近くのソファには疲れた表情の男女が黙って座っている。店の奥を覗くと空席が目につくが、店員はみな忙しそうで客を案内しようとしない。ソファの一番手前に腰を掛ける太った中年の女は忙しなく行き来する若い女の店員と空席を落ち着きなく交互に見やり、その視線の意図に店員が気づかないので他の客にも聞こえるようにわざとらしく咳ばらいをし、またわざとらしくケバケバしいピンクのハンカチで首元の汗を拭った。女の横に座るよれた水色のシャツの中年の男は雑誌に目を落とし見ないふりをしていたが、奇妙に表情が欠落した顔は女の挙動を嫌悪していることをむしろ雄弁に語っていた。

 わざわざ車で来たので帰るわけにもいかず、田代はレジで病的に痩せている女の対応をしている店員(表にいる店員はみな若い女で特徴がなく注意しないと見分けがつかない。どこかで見たような顔だったがどこかは思い出せない)がこちらに気づくのを待っていた。それにしても暑い、と田代は思った。ただ人が多いから暑いというのではなく空気が停滞しているような感じだ、とも。実は連日の猛暑で酷使された空調のうち1つがまず壊れ、壊れた分を補おうと残りの物を酷使した結果また1つ壊れ、結局全ての空調が用をなさなくなっていた。更に悪いことに国道沿いに建てられた店の窓ははめ殺しになっており、空気を入れ替えることすらできなかった。
時刻は夕暮れ時で、店の外では日中の圧倒的な日差しが弱まり、息を吹き返した人々は誰もが快活に挨拶を交わし、カラスの鳴き声は昭和を想起させる牧歌的なものとして賛美され、街全体が幸福そのものという様子であったが、空調が壊れた蒸し風呂のような店内で水を飲むことも許されず汗ばんだ手で雑誌のページをめくりまたスマートフォンをいじり続けるしかない人々にはそれは見当はずれなまがい物の幸福であるとしか思えず、しかし本心ではその光景を羨みながら、店員と痩せた女の口論を眺めていた。

 「だからクーポンを使いたいんですけど」

 「そちらのクーポンはスマートフォンで会員登録していただいたお客様に使用していただけるものでして」

 「だから、ここに紙のクーポンがあるわけで、それで私は紙のクーポンの話をしてて、スマートフォンの話は何もしてないじゃないですか」

 「ええ、ですからこちらのクーポンの裏にありますQRコードを読み取っていただいて、スマートフォンで会員登録をしていただきますとクーポンが発行されます」

 「だからここにクーポンがあるじゃない?私はこのクーポンを提示するとコーヒーが320円になるって聞いたから車を出してこの店に来たわけじゃない?それでここにクーポンがあるじゃない?私はこのクーポンを使うためにここに来たんだからここにあるクーポンを使えるはずでしょ」

 「ええ、遠路はるばる当店に来ていただいたのは本当にありがたいのですが、私どもとしても本社から通達された規則がありまして、いえその前にスマートフォンで会員登録していただいて発行していただいたクーポンに書かれている番号をレジで読み取らないとクーポンをご使用いただくことが不可能な仕組みになっておりますので一度スマートフォンで会員登録していただかないことには話が進まないわけでして、あ、248番の三名様、一番奥のテーブル席にどうぞ…ですからですねこちらのクーポンの裏にありますQRコードを読み取っていただいて、スマートフォンで会員登録をしていただかないと…」

 田代を含め待たされている客はみな女と同様にクーポンをもらい車でここまで来ていたのでクーポンを使うためにスマートフォンで煩雑な作業をすることを想像し嫌な気持ちになり、自然と女の味方のような気分になり、田代に至っては次第に自分と女の差異があいまいになり本気で腹をたて始めており、女はそんな雰囲気を敏感に察知して自分が大勢の代弁者であるかのような一種の使命感に駆られなんとしてでも折れるわけにはいかないと決意を新たにしていたが、一組が座席に通されたことで状況は一変した。

 客たちはまず奥の席がいくつか空いていたことを思い出し、次にこの店に来ることの本来の目的がクーポンを使うことや店員を言い負かすことでなくコーヒーを飲むことであるはずだと無意識にすり替えを行い、最後に女が店員を引き留めている限り自分たちが席に案内されるのが遅れることに思い当たり、急激に怒りの矛先は女に向かった。田代はあまりにも女に自己を投影していたため客たちの急激な感情の変化を察知したのち戸惑い、女が周囲の感情の変化に気づかず店員への抗議を継続しているのを不安げな面持ちで眺めた。

 女は抗議をやめる気配がなく店員と客が全員同じように無機質な表情で静かに自分を憎んでいることに気づかず、むしろ後に引けないという思いと自分の声の大きさと圧倒的な蒸し暑さに完全に飲まれ半狂乱でカウンターを叩きつけていた。

田代は居ても立っても居られず女の肩を後ろから軽く叩き「まあまあそんなに怒らないでください。なんなら足りない分は私が払いますから」と言った。女は一瞬ぽかんとした後、顔をみるみる赤くし、何か叫んで田代を突き飛ばした。侮辱されたと思ったのだ。無理もない。田代はまだ十八だったし顔立ちはそれより更に幼く見えた。こんな小娘に諭されている自分に耐えられるほど女は冷静でなかった。

 田代は完全に不意を突かれ、受け身を取ることもなく仰向けに倒れ、しこたま頭を打った。
そして状況を理解すると自身の行為が不意に出たものであったことを完全に忘れ、最善であったはずの行為が理不尽に拒否されたような気になり、先ほどまで女に自己を投影していたことの羞恥心を押し殺すためにも過剰に女を憎み、他の客の表情を伺い、誰か加勢してはくれまいか探したが、結果として自分を見る者の視線が一様に冷たいことに驚くことになった。女に助けの手を差し伸べようとした上、失敗したことにより事態をより面倒にした田代は彼らにとって敵であり、店の回転率をあげたい店員にしてもそれは同じだった。

 田代は一瞬にして自分が店内全員の共通の敵になったことを悟った。店内は静まり返り誰もが無表情で田代を見ていた。不意に店員が気を取り直して「249番の方、右手の喫煙席にどうぞ」と言った。それで再び客の興味は自分が早く呼ばれないかということに移り、店員は慌ただしくテーブルを片づけ客を誘導しコーヒーを注いで回った。コロンビアの高地で取れた豆のうち99%を輸入しているコメダ特製のコーヒーの香ばしい香りに客は喉を鳴らし、女はというと怒りの矛先が全て小娘に向いたことに満足し会計を終えて店を出た。

 田代は立ち上がれなかった。身体中から汗が吹き出し、心臓は早鐘を打っていた。客の視線が体にべったり張り付いたような心地がして上手く動けなかった。「250番の方、251番の方」と呼ぶ店員の声は人間をただの記号として扱っているような感じで、先月までいた刑務所のことを田代に思い出させた。田代は立ち上がれなかった。250番の女になった太った女と251番の男になった水色のシャツの男が立ち上がり、男の方が道を塞いでいた田代を蹴り飛ばした。それが引き金になった。田代は地鳴りのような叫び声を上げながら立ち上がるとパーカーのポケットからアイスピックを取り出し、男の前に躍り出、左の眼球を突き刺した。男が悲鳴をあげて倒れると馬乗りになり胸に、腹に、喉に、眼球に、何度も突き刺した。何かが田代を突き動かしていた。それは巨大な暴力として場に立ち現われ、毛穴と言う毛穴から田代の中に入り込み、神経の大部分を支配していた。田代は叫び、男を刺し続け、そんな自分をどこかで冷静に眺めながら、また刑務所に入るのか、今度は何の資格を取ろうか、と考えていた。店の外では二羽のカラスが艶かしい声をあげてまぐわっており、人々は生命の神秘に涙を流し生の快楽を全身で感じていた。

コント 「個人的に宇宙」

A.B中央から少し離れて等間隔に立ち、回り出す

舞台明転

少しして同時に止まり、前を向く

A「話しをしよう」

B「いいだろう。俺の話を聞いてくれ」

A「いいだろう」

B「個人的に、と言いたがるやつがいるだろう。個人的にこれ好きですね、とか。個人的にそれは違うと思う、とか」

A「いるな」

B「私はあれが嫌いだ。彼らは責任から逃げている。自分の発言について誰かから意見されても、個人的に思っただけなので、という逃げ道を作っている。それは卑怯だ、そう思わんか?」

A「…」

B「なんだ」

A「お前の話は小さいな。それこそ個人的すぎる。もっと大きな話をしよう」

B「例えばなんの話だ」

A「宇宙の話だ」

B「ということは宇宙は大きいのか?」

A「宇宙は大きい」

B「私はそうは思わない。なぜ宇宙は大きいのだ」

A「我々はいま地球にいるだろう。その地球は太陽系にあるだろう。その太陽系は銀河系にあるだろう。しかし宇宙には数多の銀河系があるのだ。それくらい宇宙は大きいということだ」

B「果たしてそうなのか」

A「なぜ分からないのだ、間違いなく宇宙は大きい」

B「しかし宇宙とは時間、空間内に秩序をもって存在する、(こと)や(もの)の総体であり、何らかの観点から見て、秩序をもつ完結した世界体系であるだろう」

A「そうなのか?」

B「その中で宇宙の大きさについて述べる際、二つの意味があるだろう?ひとつは、物理的な空間に端があるのか、相対性理論が提唱されて以降は空間は曲がってつながっていて端は無いのか、という問題として扱う場合で」

A「まて」

B「なんだ」

A「学問の話だったのか」

B「学問の話だったのだ」

A.B右回りに回り、一回転したら止まる

A「お前は、詳しいな」

B「実は、私は教授なのだ」

A「ほんとうか」

B「ほんとうだ」

A「果たしてそうなのか?」

B「なぜわからないのだ。私が言うのだから間違いない」

A「つまり君は知識を与えているのか?」

B「そうだ」

A「しかし、君は本当に知識を人に与えることなどできるのか。つまり、君は本当に善美のものごとについて理解しているのか、という観点からいうと」

B「まて」

A「なんだ」

B「倫理の話だったのか」

A「倫理、そして哲学の話だったのだ」

A.Bしばらく回り、正面を向いて止まる

A「しかし、なぜ我々は回り続けているのだ」

B「我々には回るほかにないのだ」

A「なぜと訊いているのだ」

B「それは、我々が惑星だからだ」

A「我々は惑星だったのか」

B「そうだ。なにも我々だけではない。誰もが惑星であり、誰もが太陽なのだ。そして誰もが回り続けるしかないのだ」

A「宇宙の話だったのか」

B「宇宙の話でもあったのだ」

A.B回りだし、そのまま回り続ける

舞台暗転

私の字

歳をとるにつれ八方塞がり感が強くなってきた。俺、年取ったな、という感じだけが強くなり、なにも成長できていないと焦る。

そういうの向いてないんだけどな、とよく思うけど今まで自分に向いている何かなんてあっただろうか。どうだろう。言い訳でしかないのかもな、となんとなく思う。

さっき、今日は体調悪いから、と飲み会を断ったとき、いつも体調悪いよね、と言われた。その通りだ。でもおかしいな。体調に問題があるからサークルもバイトも辞めて負担を減らしたのにな。まあ急に元気にはなれないか、うん。でもな、新聞はギリギリ作ってるけど、他にやりたい活動もせずに、とくに真面目に勉強しているわけでもなく、元気でもないってそれ、なんなんだろうな。

どうするよ、今後。忙しくなるぜ、きっと。就職とかしたくないな、てか出来る気がしないな。俺にはなにが出来るだろう。あるいは何も出来ないのか。何も出来ないならどうやって生きていくんだろう。わかんねえな。


昨日、机の中を整理してたら、小学生の頃に通っていた公文のプリントがたくさん出てきた。けっこう難しいことをやってた。国語なんかセンターとそう変わらないくらいの文章に見えた。でも、一番どきっとしたのはそんなことじゃない。

何より、そのプリントの私の字は今より綺麗だった。信じられないけど、本当にそうだった。


私は字が本当に汚い。あまりにも汚いから人に驚かれる。従兄弟にはこんなに字が汚い人は見たことがない、と言われたし、高校の部活の日誌を、それでも極力綺麗に書いたんだけど、とにかく手書きで書いた日誌を提出したら顧問に渋い顔をされた。

テストで記述問題があると必ずもっと字を綺麗に書きましょう、と書かれる。それくらい汚い。でもいつからか、まあしょうがないよ。こんなものだろうって、自分の字の汚さを受け入れるようになった。


小学生の私が解いたプリントの字だって、他の小学生の字と比べて綺麗とは言い難い。でも、今の私の字より明らかに丁寧に書かれていたし、読み易かった。


結構ショックだった。たかが字のことだし、それが私のあり方を暗示しているというのは考えすぎだろう。でもどうしてもそう考えるのをやめられなかった。


勉強だって同じかもしれない。国語の現代文って勉強したことないって思ってた。勉強しなくても常に高得点を取れたから、国語が生まれつきできるんだと思っていた。

でも押入れの中にしまわれたプリントには何度やっても出来なくて、何度も何度も解き直している昔の私が写り込んでいた。


いつからだろう、自分の字の汚さに慣れたのは。いつからだろう、向上しようとすることを忘れたのは。


いつか、元気になったらまた何か始めるんだろうか。でも、今以上に元気になることなんてあるのか?今始めるべきことが何かあるんじゃないか。でもそうやって始めたバイトもサークルも結局辞めてしまった。新聞の仕事だってとても一人前には出来ていない。

どうなるんだろうな、私は。

日記。生活について。

今日したこと。

今日は悪夢を見て、6時半に目が覚めた。まだ眠かったけど、もう一度眠るのは怖かったので起きた。朝ごはんを食べた。

9時半に美容室の予約を取っていたので、それに合わせて家を出た。頭は回っていなかったが、美容師さんとは人並みの会話ができた。笑ってもらえたのでよかった。あるいは人並みの会話になっていなかったから笑ってもらえたのかもしれないけど。

家に帰って、居間でCDをかけた。ホットカーペットでごろっとしていたら眠くなってきたので、部屋に戻って寝た。自分でかけたCDがうるさかった。

2時過ぎに起きた。頭が痛かった。ロールケーキがあったので食べた。

となりの祖母の家に行って、少し話しをした。宗教の話とか、健康の話とか、お互い一方通行気味だった。頭が痛かった。

祖母が夕食の支度を始めたので、私も卵を茹でたりして一緒に食べた。

ここで急に頭がクリアになった。

朝からかかっていた靄が消え去り、腹のあたりからエネルギーが滲み出てきた。


文章が頭に入ってくるようになったので、坂口恭平さんの小説を少し読んだ。

彼の文章は歪だ。彼は自身の幼年期のことを書いていたが、彼の思考の流れに沿って、描写は拡大、縮小され、時間は行き来する。

彼にはどうしても書きたい感覚が、イメージがあって、それを極力そのまま描写しようとした結果、いわゆる美しく明瞭な文章ではない、独自の文章を構築している。そんな感じがする。

私が彼の文章で好きなところはその素直さ、誠実さであり、逆に苦手なところは人の思考をそのまま覗いているかのようなその居心地の悪さだ。


鬱の時、私の思考がクリアなのはせいぜい11時間とかそこらだ。ほとんどの時間は、別に希死念慮があるわけでもなく、幻覚が見えるわけでもなく、ひたすら頭が重くて何もする気が起きない。

鬱という感じじゃないかもしれない。熱もあるわけだし、何らかの不調がいくつかの形で表出している、くらいが正確な気がする。

何にせよ寝続けているわけにも行かないので少し行動するが、すぐに疲れ果てて寝てしまう。

じっとしている分には、希死念慮もないので穏やかなものだ。昔は、部活のことやら課題のことやら受験のことやらが気がかりで、焦り、いらいらしたりしたが、経験が蓄積するに従い、なるようになるさ、と自然に思えるようになった。

私はいつかまた元気になるだろう。別に課題をやらなくても人に義理を欠いても死ぬわけじゃない。最低限こなしながら、のんびりしていればいいさ、と。


もちろんそうはいかない時もある。どうしても外せない用事や授業のため外出し、人に会うと、ろくにコミュニケーションも取れない自分にいらつき、絶望的な気分になる。

家にいる時だって、きっとどこかで不安感や絶望感はある。見ないふりしているだけで、それは別の形をとり、ふいに私の前に現れてくる。


さっき書いたように、思考が一時的に明瞭になったので、文章を書いている。本当は課題やらなんやらがあるんだけど、どうもやる気が起きない。

一度そこそこの分量を書いたが、誤って消してしまった。それで落ち込んだりしていたら、明瞭な状態からまた少しずつずり下がってきた。書けるうちに書けることを書こう。


長いこと考えたが、とくに今は書けそうなことはなかった。好きでやっているんだから、無理に書く必要もない。

そういえば昨日は昔の友達に会った。たまにブログを読んでくれているらしくて、感想を訊いたら、すごくてっちゃんぽいと思う、と言われた。

小学校卒業以来たまにしか会わない彼に、ぽいねって言われるということは、外から見た私らしさというものは、ずいぶん時間が経ってもあまり変わっていないということか。

あだ名で呼ばれることもほとんどなくなり、考え方だってずいぶん変わったはずなのにな、と思う。

本当のところはどうなんだろう。今度気分がいい時に考えよう。

左手と、本当の気持ち

ああ俺、けっこう体調悪いな、と認識する時は文字が書けなくなった時だ。文字が書けない、と言っても急に全ての文字が書けなくなるような病的な状態ではない。文章を書いている中で、ある字が急に書けなくなったりするこのが増える、という程度のことだ。


普段、文章を書きたい時、あるいは書かなければならない時、私はまず全体像を描くことをせずに、初めのセンテンスを考える。そしてそれを書く。あとは流れに任せて書いていけば、だんだんと自分の書きたいことが見えてくる。

でも時々、あれおかしいな、「い」って書こうとしたのに「え」って書いてる。あれ同じこと二度書いちゃった。今度はまた「い」を「え」と書いちゃった。あれ、まみむめもの「め」ってどうやって書くんだっけ、といった具合に、私の左手は錯乱する。

私の脳はきちんとクリアなように思える。ただ、私の左手は私が書きたいことを書いてくれない。

おかしい、こんなはずでは、と思っているうちに何度も書き直した紙はぐしゃぐしゃになっている。


なぜだろう、なぜ私は文字を書けなくなるのだろう、と考える。それでも書き続けているうちに私の左手はどんどん強張り、字は乱れていく。

たしかに、疲労がたまり、精神的にも肉体的にも参っている時は、他の動作も怪しくなる。何もないところで転けたり、出先で何をしに来たのか忘れたり、手の動作で言えば爪が上手く切れなくなったりする。

でも私には、字を書けなくなることは、そういったこととは全然違う症状に思える。


なんでだろう。また、そもそも自分にとって文章を書くとはどんな意味を持ったことなのだろう、と考えているうちに一つ思い出した。


そういえば私は幼い頃、作文が苦手だった。作文のテーマは自分が体験したことについてどう思ったか、とか、自分はどういうことが好きか、とか大体そんなことだったが、私はいつも一行も書けなかった。

先生には、君は国語ができるのに作文を全然書かないのは私に反抗しているつもりなんだろう、とか見当違いなことを言われたけど、作文用紙を前にすると、私は本当に何も書けなかった。


例えば小学生の頃、国語の文章題か何かで、デタラメならなんでも書けるというのは間違いで、デタラメを書くのはとても難しい、だから素直に作文を書くことの方がよっぽど簡単なのです、みたいな文章があった。

当時、私は十歳かそこらだったけど、それでも、冗談じゃない、と思った。

本当のことを、本当のこととして書くことがどんなに難しいことか、本当の自分のことを書くことがどんなに難しいことか、それは幼い私でもわかった。

私は作文用紙を前にして、自分について、自分の感情について書こうとした。作文を出さないと、居残りさせられて友達と遊べないから、なんとか何かしら書こうとした。

それで少しだけ書いてみて、それを読み返すと、そこにはデタラメしかなかった。私はどれだけ粘っても、本当の自分のことが書けなかった。それで、嫌になって全部消した。

周りの友達はどうしてそんなに早く書き上げられるのだろう、といつも不思議に思っていた。作文用紙一枚分にびっしりと文字を書いて、得意そうに二枚目をもらいに行くあの子が輝いて見えた。

いま思うと、彼らも自分のことなんて書いていなくて、私より早く社会化されていただけだとわかる。でも当時の私は本当に焦っていたし、寂しかった。


気づけば私は19歳になった。今では、授業のリアペやレポートもすらすら書ける。理由は、語彙が増えて書きたいことが少しだけ正確に書けるようになったということもあるけど、一番は妥協を覚えたことだろう。

私は歳をとって、自分の感情をそのまま言語化できないことを知った。一度言語のフィルターを通してしまえば、それは元の感情ではない、ということを理解した。

そして、私は妥協を覚えた。本当の自分の感情を書くことを諦めた。今でも、少しでも正確に書こうと努力はするが、ある程度努力すると、そこで諦める。

それは、私が社会化され、大人に近づいている、ということなのだろう。少しずつ、私はこの社会で生きやすいように変わっていくのだ。


でも、体調が悪くなると、私は社会化され洗練された人間から遠ざかっていく。私の頭はまた昔のように頭でっかちな命題に悩まされ、自分の不完全な文章を全て消去したくなる。


そんな状態でも今の私は、文章を書かなくちゃ、とりあえず提出しなくちゃ、とすべきことをキチンと認識できるが、私の左手は言うことを聞かない。

もしかしたら私の左手は、社会化され、妥協を覚えた私を認めたくないのかもしれない。

お前はそれでいいのか、お前はそんな文章を書いて、人の目に触れさせることを許すようなやつだったのか、って私に問い掛けているのかもしれない。


日々の課題に追われる私には鬱陶しいけど、そう考えれば言うことを聞かない左手が愛おしくなるような、ならないような。